京22か31-58

 京22か31-58 

1982年度導入車
199?年廃車
K-RC381改
西工53MC 前中扉ツーステップ
ロッドシフト式5速MT


11号系統
イメージ 2
撮影:右京区役所前
撮影したのは1982年8月。広隆寺の前付近で撮影しました。ちなみに広隆寺は地名を冠した太秦広隆寺とも呼ばれます。手前に見える軌道は京福嵐山線(嵐電)です。この写真は嵐電を撮影した際に同じフレームに入ってきたのを偶然撮影していただけなので、その部分だけを拡大してみました。
2113のところで述べたように、1978年度以降はすべて冷房車で導入されており、さらに夏季には「冷房車」の白熊ヘッドマークまで取り付けてありました。なので写真のような整理券車だとダブルヘッドマークになっています。
系統番号部分の色分けは1981年5月の地下鉄烏丸線開業時の改正からおこなわれたもので、均一系統が青地(紺色に近い)に白文字、循環系統が赤地(実際はオレンジに近い)に白文字、多区間系統(整理券車)が白地に黒文字と区別されるようになりました。大昔はすべての系統が白地に黒文字だったのですが、1970年代より見やすさを考慮したのか青地に白文字が次第に増え、この改正でキチンと分けられるようになったわけです。
1982年度導入車からの特筆すべきことは、車内に次停留所の案内表示機採用されたことです。これを導入したのは日本のバス事業者の中でもかなり早い方だったと記憶しています。2000年代はバリアフリー法により、視覚障害者に対する案内として義務付けられていますが、当時としてはかなり画期的な取り組みでした。
車体は西工53MCで、マニアが「はんぺん」と呼ぶタイプです。西工42MCに近い形ですが、前後の折れ曲がりが少ないので、「かまぼこ」ならぬ「はんぺん」となったようですね。1993年からはスケルトンボディの58MCへモデルチェンジしたので、5年ほどしか生産されない短命モデルでもありました。個人的には小さい頃からの馴染みである西工42MCの集大成みたいで好きだったんですけどね。
京都市交通局では独自の仕様として前部の窓を下部に拡大し、さらに視野拡大のための小窓を設けています。これは1981年度導入車からの採用です。

ちなみにオリジナルの写真はこれです。
イメージ 1
太秦駅(現:太秦広隆寺駅)を出発した嵐電モボ111型114を撮影した際に11号系統が来ていたので、同じフレームに収めて見ようと試み、何とか撮影出来たものです。私の所属していた高校の鉄道研究同好会で、秋の学園祭での展示写真を撮影しに嵐電を自転車で廻っていた際に撮影しました。当時の嵐電は冷房車が全くなく、確か暖房も無かったと思います。なので夏季は窓全開で走行していました。1982年は北野線ワンマン運転が開始され、前面窓下に差し込み式の「ワンマン」表示とバックミラーが取り付けられましたが、嵐山線はまだツーマン運転だったので、ワンマン表示部には何も差し込まれていません。